JUL/2021
梅雨明け十日。
天候が安定する夏の日に出かけてきました。
「伊吹山」
電車を乗り継いで柏原駅まで。
雲に隠れていますが、勇壮な伊吹山はすぐそこです。
「柏原宿」
中山道の宿場町であった柏原。
江戸からだと近江に入って最初の宿場であり、日本橋から60番目の宿場町でした。
「近江と美濃の国境」
柏原から東へ向かい、しばらくすると近江国と美濃国との国境。
なぜにこんな小さな川が国境なんでしょう。
もちろん今は滋賀県と岐阜県との県境になっています。
「垂井」
今須峠という峠を越えると、長い下り坂が続きます。
関ヶ原を通過して、中山道57番目の宿場町「垂井」へ到着。
ここで中山道とは別れて、名古屋へと向かう脇街道「美濃路」へと進んでいきます。
「大垣」
水都とも称される大垣。
市内のあちらこちらに自噴している場所があるなど、豊富な地下水に恵まれていること、また揖斐川や杭瀬川などの河川による水運により栄えたことがその謂れだそうです。
大垣中心部を流れる水門川は伊勢桑名との水運を担った川だそうですが、豊富な水量は湧水によるものらしく、これもまた大垣の地下水の豊富さを物語っています。
「大垣城」
10万石の城下町であった大垣。
国宝にも指定されていた天守は空襲により焼失しましたが、昭和34年に復元されています。
「冷やし中華」
大垣城近くにあった中華料理屋で、ランチをとりました。
柏原を出発して約20km走りましたが、ほぼ下り坂でしたので、たいした運動になっておりません。
冷やし中華のみで店を出ました。
「墨俣」
美濃路を走り、次の宿場町である墨俣へ。
「墨俣一夜城」
木下藤吉郎が一夜にして築城したという逸話の残るお城。
ただ裏付ける資料もないことから、事実ではないとされています。
仮に一夜城の話が本当だったとしてもこんな立派な天守閣などあったはずもなく、かの竹下登内閣時の「ふるさと創世事業」による1億円を元手に「墨俣歴史資料館」として建てられたものです。
「木曽川」
木曽川に架かる大きな橋は濃尾大橋。
文字どおり、橋を渡ると尾州となります。
昭和27年の着工から4年をかけて昭和31年に完成。
濃尾大橋が完成するまでは、渡し船があったそうですから、なんとも長閑というか時代の流れを感じずにはいられません。
「起」
尾張側には起宿という宿場町がありました。
築150年以上という船問屋跡がカフェになっているようです。
「名古屋」
炎天下の中、美濃路の旧街道に沿って走り名古屋に到着。
途中、寄り道などをしながらで約65kmでした。
「世界の山ちゃん名駅西口店」
16時からオープンしているお店を探して入店。
もちろん手羽先とビールで本日の労をねぎらいます。
帰りは新幹線で。
京都まではたったの34分で到着しました。
自転車で時間をかけて走った2倍以上の距離を、新幹線ならば寝てる間もありません。