APR/2022
「泉州」
この呼び名に対するイメージは近畿地方の住人でも、どこに住んでいるのかにより少し異なると思われます。
泉州に住む人にとっては、もちろん我が愛すべき地元。
北摂や阪神間に住む人たちだと、なんかちょっとガラが悪そう。
京都あたりまで来ると、「行くことないし(もしくは行ったことないし)、ようわからん」。
我らが関空は泉州沖にあるものの、どうやらそこは昔ながらの泉州とは別物のように考えられがちです。
難波のフェアフィールドに宿泊をしていて、気ままに南海の難波駅へと向かいます。
ちょうど関空急行が出発するところでしたので、急いで乗り込みました。
難波から岸和田までは27分。
駅前にはだんじりの町であることをアピールするボスターが多々あります。
また駅前の観光案内所に入ると、様々なだんじり関連グッズが販売されているなど、まさにだんじりの町であることを意識させられます。
町内ごとのバッジなんて、地元民以外の観光客で欲しがる人はいるのかと疑問に思いますが、そんなことは口が裂けても言えません。
おそらくここ岸和田で、だんじりに対してネガティブな発言をすることは、とても勇気のいることだと思います。
いきなり岸和田のだんじりラブなところを見せつけられましたが、とりあえず駅前の商店街から城見坂へと歩きはじめました。
道すじにあった刈り込まれた松の木。
とても見事です。
「岸和田城」
JR だと見えなくて、南海に乗ると少しだけ見える岸和田城。
待ち構えていないと見落とすこともあるぐらいなので、小さな城だろうと思っていましたが、それなりに威容があります。
天守閣は昭和29年に再建されたものだそうです。
「五風荘」
旧岸和田城内の新御茶屋跡などを、堺寺田家の二代当主家別邸として10年もの歳月をかけて建造されたものだそうです。
広大な敷地には立派な回遊式庭園と近代和風建築があり、レストランとして運営もされています。
岸和田藩(53,000石)は岡部氏が長く藩を治めました。
特産品振興などに力を注ぎ、善政を布いたとされています。
また岸和田のだんじり祭も、3代目藩主長泰のときに、伏見稲荷を勧請して稲荷祭を行ったのがその起源とされているそうです。
岸和田城から旧市街へと歩いていきます。
町を歩いていると、こうしただんじりを保管している小屋もたくさん見かけます。
「枡形」
だんじり祭では接触事故のよく起こる場所。
別名「S字カーブ」として知られています。
「紀州街道」
だんじりが駆け抜ける紀州街道は、大阪と和歌山とを結ぶ街道です。
とりわけ本町と呼ばれるあたりには、歴史的な建築物が多く残っており、雰囲気あるまちなみとなっています。
「千亀利寿司」
お昼どきになりましたので、街道筋にあるお店に入りました。
「穴子天丼(550円)」
なんとびっくりな価格でした。
安いなりではなく、それなりにおいしかったです。
海老天はプラス100円で追加しました。
「蛸地蔵」
紀州街道を歩いていくと、蛸地蔵という名で知られるお寺があります。
正式名称は天性寺ですが、通称のほうが有名なのではないでしょうか。
この名前の由来となったのは次のような昔話が残っているからです。
かつて根来衆・雑賀衆に攻め込まれ落城寸前となった岸和田城。
そこへ何千何万という大蛸小蛸の大群と白法師(お地蔵さんの化身)が突如現れ、岸和田城を守ってくれたそうです。
その後そのお地蔵さんを祀ったというなんとも不思議な昔話が残るお寺として有名なのです。
なにがあるのだろうと興味を持って訪れましたが、ほかに訪れる人もなく、ただ静かなお寺でした。
蛸地蔵からは蛸地蔵商店街を歩いて、南海電車「蛸地蔵」駅へと向かいました。
「蛸地蔵駅」
大正14年に建築されたという駅舎はレトロモダンです。
さて、難波へ帰りましょう。