OCT/2023
「51次/太田」
宿泊していた駅前のホテルから木曽川河畔にある太田宿へと向かいます。
太田宿は中山道の三大難所の一つ「太田の渡し」を控え、大いに栄えたそうです。
本陣跡には門が残るのみとなっていますが、脇本陣や旅籠などは現存しており、歴史情緒ある景観が保たれています。
「日本ライン」
太田を後にすると、中山道は木曽川沿いに進んでいきます。
景勝地として有名な日本ラインを、河岸から見ることができました。
鵜沼(52次)へ行く前に、犬山に立ち寄ることにしました。
鵜沼宿を描いた浮世絵「木曽街道六拾九次」では、犬山から鵜沼を遠望する図柄となっています。
中山道を行きかう人たちにとって、木曽川越しに見える犬山城は強く印象に残ったのだろうと思います。
そんな犬山城下にある犬山の町は、尾張藩家老であった成瀬家が長く治めました。
総構えと呼ばれる城郭構造の町割りが今も残っており、往時の雰囲気を感じることができます。
「52次/鵜沼」
犬山から鵜沼へと戻ります。
鵜沼には、脇本陣であった坂井家の建物が復元されていました。
またこの日は「中山道鵜沼宿まつり」が開催されていて、町をあげて宿場を盛り上げていこうという意気込みを感じました。
「手力雄神社二の鳥居」
鵜沼から加納(53次)へは、国道21号やその旧道と重複しており、往時の面影はあまり残っていません。
道も平坦なのはいいのですが、少々単調です。
手力雄神社二の鳥居付近で休憩をとることにしました。
手力雄神社は、火の粉を浴びつつ境内を練り歩く「火祭」で有名です。
「53次/加納」
加納城の城下町でもあった加納宿。
宿内の街道は、加納大手町や南広江町等の6カ所で鍵状に折れ曲がっていて、城下町らしさが残っています。
「笠松問屋跡」
これで前回の「中山道自転車旅1/草津→岐阜」とつながりました。
ここまで順調に走ってきましたので、時間も足もまだまだ余裕があります。
このまま名古屋まで走ることにしました。
長良川の鵜飼でとった鮎の鮎鮨(あゆずし)を将軍家に献上する際のルート「鮎鮓街道」を通って、名古屋まで走っていきます。
「木曽川」
このあたりの木曽川は、かなり川幅も広くなっています。
かつては笠松湊から宝江渡船にて対岸へと渡りましたが、明治43年には橋ができて廃止となったようです。
「黒田」
木曽川を渡り、木曽川町黒田へ。
時折、古い建物が残っていて、ここが街道だったことを感じられます。
「真清田神社」
尾張国一之宮である真清田神社に到着。
門前から延びる本町通りが大きな商店街となっており、新しいお店もありながらもレトロ感あふれる場所となっています。
「西枇杷島」
四ツ谷追分で美濃路と合流。ここからは熱田まで続く美濃路を走ります。
西枇杷島あたりは古い町並みが残り、そうした古い家屋を利用した洒落たお店もありました。
庄内川を渡れば名古屋です。
今回の中山道自転車旅は、ここ名古屋まで。