週末ごとの旅行者

週末+1か+2でアジアへ。Skyteamメンバーのチャイナエアラインで上級会員を目指します。

中山道自転車旅5/下諏訪→佐久平

【スポンサーリンク】

JUN/2024

 

下諏訪からの出発の前夜。

天気予報を見ると、曇りのち雨となっていました。

出発するかどうか、非常に判断に迷います。というのも、下諏訪から次の和田(28次)へは、中山道最大の難所とされる和田峠を越え、5里18町(約23km)もあり、その上このあたりには鉄道がなく、簡単にリタイアすることができません。
ただ取りやめとなると、次回またこの下諏訪までやってこなければなりません。

どうしたものかと悩みます。

夜遅くに天気予報を見ると、午前中はなんとか天気がもち、午後から雨となりました。

雨が降り始めないうちに和田峠を越え、なんとか佐久平まで行こう。降ったら降ったで、ずぶぬれになっても佐久平駅まで行こうと開き直りました。
早朝(6:30)に下諏訪を出発することにしました。

和田峠への上り坂を淡々とペダルをまわしていると、諏訪大社の御柱祭で有名な木落し坂があらわれました。

「男見るなら七年に一度諏訪の木落し、坂落とし」と謡われる諏訪大社の御柱祭。

どんなものなんでしょうか。

淡々とペダルを回し続けます。標高もグングン上がってきました。

「和田峠」
下諏訪を出発して約1時間30分。旧和田峠への入口に到着したところ、無情にも「災害全面通行止め」の看板が立てられていました。

茫然自失。ここまで頑張ってきたのに...

そして、天気予報よりも早く雨が降り始めました。

弱り目に祟り目とはこのことでしょう。

仕方ない。新和田トンネルを抜けて前に進むことにしました。

「28次/和田」

新和田トンネルの長さは約2km。

歩行者用通路が狭く、車道を走らざるをえません。しかしその車線の幅も狭いので、後方車の恐怖を感じます。

幸い通行量が少なかったので、後続車が近づいたときは歩行者用通路に避難し、後続が途切れたときは車道を走るというふうにトンネルを抜けました。

そしてトンネルを抜けると、トンネル前に降っていた雨はやみ、空は薄曇りとなっていて、ところどころに青空が見えました。

なんという強運だろう。

さっきまでは泣きべそをかきたいぐらいだったのに、能天気なものです。

 

気分良く長い坂道を下っていき、和田宿に到着。旧本陣や古い家屋が残る宿場でした。

和田峠を越え、のどかな道が続きます。

「27次/長久保」
和田峠と笠取峠との間にあるため比較的大きな宿場だったそうです。宿場の発展とともに町が横丁の先に広がり、カギ型に曲がっためずらしい形の宿場町となっています。

和田峠を越えて、もう大した坂はないだろうと思っていましたが、「笠取峠」という峠がままあまあのアップであることを知りました。

またえっちらおっちらとペダルを回していきます。

笠取峠を越えると、立派な松並木があらわれました。

浮世絵にも描かれたという松並木は、当時のままの風景で、15町(約1.6km)も続いていました。

「26次/芦田」

笠取峠から坂道を下ると芦田宿。

皇女和宮が昼食を取ったという土屋本陣の建物が残っていました。

商店の看板もレトロでいい感じです。

「間の宿/茂田井」

芦田を出てしばらくすると間の宿茂田井があります。白壁と土蔵の続く静かな道を軽快に走っていきました。

「25次/望月」

茂田井からは少し起伏のある道を進み、坂を下っていくと望月に到着します。

この辺り一帯は古くから「御牧ヶ原」と呼ばれ、旧暦8月15 日(望月)には馬を朝廷へ貢進していたそうです。多くの名馬を産出したため、名馬のことを望月と呼ぶようになり、この地も望月という名で呼ばれるようになったといわれています。

望月からは瓜生坂という急坂を上ります。激坂なので、ここも自転車を降りて、押すことにしました。

瓜生坂から下っていくと、すぐに八幡(24次)です。

街道は八幡神社前で緩やかに右に曲がっていきます。そしてしばらくすると急な下り坂となり、梅雨の水をたっぷりと湛えた千曲川が目の前にあらわれました。

千曲川を渡った塩名田(23次)には、老舗の川魚料理店などが残っていて、とてもいい感じでした。

雨が降りはじめる前に、なんとか佐久平駅に到着することができました。

佐久平駅からは、はじめて北陸新幹線というものに乗りました。そして敦賀でサンダーバードに乗り換え、京都へと戻りました。