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中山道自転車旅6/佐久平→熊谷

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SEP/2024

 

今回は佐久平駅から再開します。

まずは佐久平駅近くにある岩村田(22次)に向かいます。

岩村田は内藤氏1万6千石のお膝元でもありました。

ただ本陣や脇本陣がなかったため、幕府高官などは豪商の館や寺社に宿泊したとされています。

 

「21次/小田井」

岩村田を出ると、ずっと上り基調の道が続きます。

岩村田から小田井までは、1里7町(約4.7km)です。

参勤交代の大名が追分(20次)で宿をとる際には、姫君や側女たちは小田井に宿をとったことから「姫の宿」とも呼ばれたそうです。

「20次/追分」

中山道と北国街道が交わる追分は、参勤交代の大名や善光寺参詣の旅人などでたいへん賑わったそうです。宿場内の街道は石畳風の舗装となっていて、旧街道の雰囲気を感じられるようになっていました。

岩村田からずっと続いた上り道は、追分を出ると一段落となりました。

次の沓掛(19次)、その次の軽井沢(18次)は、追分とともに浅間山の腰あたりに続く「浅間根腰」の三宿と呼ばれていました。

沓掛は1951年の大火で町の大半を焼失したため、往時の雰囲気は残っていません。

沓掛から軽井沢までは、別荘などが多く、モダンな雰囲気となっています。

「碓氷峠」

軽井沢から碓氷峠を目指すと、和田峠のときと同じく全面通行止めの看板が立っていました。先週の台風によって土砂崩れがおこったとのことです。またもやがっかりです。

和田峠のときと同じく新国道に迂回して、碓氷峠を越えることにしました。

この碓氷峠も中山道三大難所の一つとされていますが、軽井沢からだと少し上るだけで、あとは長い下りが続くのみです。

「17次/坂本」

新国道からだと坂本宿を通り過ぎてしまうので、少し戻って坂本宿に立ち寄りました。

そして昼食を味わい深い地元の食堂でとりました。

看板メニューはこちらのチャーハン。

坂本から坂を下ると、信越本線横川駅です。

横川駅といえば、おぎのやの峠の釜めし。

いまも多くの人が訪れていて、人気の高さが窺えます。

おぎのやの近くには碓氷関所跡があります。

坂本からの道は下りが続き、旧街道も国道18号から少し外れたところにあるため、快調に走ることができました。

松井田(16次)は碓氷峠と碓氷関を控えて、宿をとる人が少なかったそうです。

安中(15次)は城下町だったため、武家屋敷などが残っていました。

「14次/板鼻」

板鼻宿には水が流れています。

碓氷川から取水した板鼻堰用水路と呼ばれるものです。

町を潤す豊かな水は、町の景観と調和していると感じました。

「13次/高崎」

烏川を渡り、高崎に入ります。高崎は空襲に遭ったため、歴史を感じられる建物はあまり残っていませんでした。高崎城もあるものの、乾櫓と堀などが残っているのみです。

「甘縁房」

坂本で昼食をとってから休憩なしで走ってきて、走行距離も80kmを超えました。

本日の目的地である熊谷まで、まだ40km以上も距離が残っていますが、疲れも出てきたので休憩をとることにしました。

「甘縁房」という軽食と甘味のお店でソフトクリームを食べて、エネルギーチャージをしました。

「12次/倉賀野」

休憩を終えて、再び走り出します。

道も平坦なので、快適に走っていきたいところですが、暑さと疲れで足が重いです。

佐久平を出発したときは爽やかな涼しさを感じましたが、関東平野に下りてきたら35℃を超えています。

高崎から倉賀野まで、たった5kmの距離が遠く感じました。

「11次/新町」

烏川を渡ると河川敷沿いの道となりました。

そしてしばらく走ると新町に到着します。そこで目にしたのがこちらの看板。

ガトーフェスタハラダは、この新町にあった和菓子屋から有数の洋菓子店へとなったのですね。

まったく知りませんでした。

「神流川」

古戦場として名高い神流川を渡ると、いよいよ武蔵国。

「10次/本庄」

武蔵に入って最初の宿場町である本庄は、中山道最大規模の宿場町だったそうです。

旧本庄商業銀行の倉庫だったという赤レンガの建物に目を引かれました。

「9次/深谷」

猛暑に体力を奪われ、あと10kmもないというのに消耗がハンパなく、「道の駅おかべ」にて最後の休憩をとることにしました。

冷たい飲み物をとり、地べたにしゃがみ込みます。

「8次/熊谷」

最後の力を振り絞って熊谷に到着したときには、ずいぶんと日が傾いていました。

中山道は八木橋百貨店の店内通路となっています。

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