SEP/2018
1.新天地Otonari
上野市駅前にある商店街。
きっと地方にありがちな寂れたシャッター通りの商店街だろうと、中を通ってみました。
すると意外にも、洒落たお店が立ち並んでいます。
雑貨店のほか、バルやカフェなどもあります。
ぜひ夜など訪れてみたいと思うようなお店もあったのですが、残念ながらイベント開催のため臨時休業とのことでした。
ただ全部が全部、新しいお店ではありません。
調べてみたところ、伊賀市の人口は約92,000人(2018年07月31 日現在)とのこと。
正直、たいした人口ではありません。
地元の消費だけに頼って事業をするのは難しいでしょう。
ただ、こうしたお店が増えれば観光客にとっても魅力的に映るでしょうし、そうして町を訪れる人が増えればいいことだと思います。
2.大和街道
この伊賀上野の町の東西を大和街道が通っています。
この大和街道は東海道関宿から奈良へと至る街道で、大和国の大名などの参勤交代の折にも利用されました。
この大和街道沿いには、古い町並みや雰囲気のいいお店が立ち並んでいます。
「金谷」
伊賀牛のすき焼きで有名なお店。
このあたりも古い街並みが残っていて、とても風情があります。
「伊賀鉄道広小路駅」
無人駅なのでまったく人影がありません。
「菅原神社」
上野天神宮をぐるっと回りこむように大和街道は伸びています。
こちらの天神さんでは、上野天神祭という壮麗な神輿や楼車が出る祭礼があり、多くの見物客で賑わいます。
「Cafe Wakaya」
大正時代に建てられたという建物をリノベーションして、カフェとなっています。
いい雰囲気ですね。
「ハハトコ食堂」
もくもくファームがプロデュースをしているお店です。
食堂とありますけれども、購入した惣菜や弁当を中で食べられるようになっているだけのようです。
訪れた時間が、17時前と閉店間際でしたので、あまり商品は並んでいませんでした。
ランチタイムのときなどはたいへん人気のあるお店のようです。
こちらも古民家を改修したお店となっていて、町並みにとけ込んでいて素敵だと思います。
もくもくファームの天然塩を使用したコロッケだけを購入して、まち歩きのお供にしました。
ハハトコ食堂 produced by moukmoku | 手づくりのお惣菜・お弁当
3.上野城
伊賀上野の町は津藤堂潘の支城であった上野城の城下町でした。
いったい、伊賀の国というのは古来「隠れ国」といわれるほどに奇妙な土地である。
司馬遼太郎は伊賀の国をそのように紹介しました。*1
畿内(近畿地方)でありながらよほどの田舎の印象があり、ふと伊賀といえばひとびとは京・大坂から遠隔の地のように錯覚する。
しかし実際には京のある山城国とは山中で国を接し、大坂に対しては木津川の渓流に軍船をうかべさえすればそのまま山々の問を縫って大坂の天満に直行することができ、城攻めの大軍をまるで魔法のようにみじかい時間で輸送することができるのである。
京・大坂から遠いようで近い伊賀。
そのような土地であるがゆえ、関ヶ原の戦いの後、徳川家康は築城の名手である藤堂高虎にこの地を与え、上野城を築かせました。
その上野城といえば高石垣で有名です。
「高石垣」
高さが約30mあり、伊賀という小国にあるちっぽけな城なのに石垣だけがたいへん立派というアンバランスさ。
そしてこの立派な石垣は西側(大坂方面)だけにあり、東側(江戸方面)は簡易な土塁となっています。
これこそが藤堂高虎が徳川家康の意を汲み取ったというか、忖度の塊のような遺物でしょう。
この城は守りなんて考えていません。
摂河泉65万石の領土しか持たない豊臣家には、もはやこの城を攻めるときなど来るはずがないのです。
西側だけにそそり立つ石垣は、豊臣家に対する示威であり恫喝。
天守閣へと続く階段を上ります。
「天守閣」
現在の天守閣は昭和10年に木造により復興されたものとなっています。
その姿をして「白鳳城」とも呼ばれているそうです。
奈良や大阪のある西の方角を望みます。
今も昔も伊賀は遠いように見えて、近い場所です。
*1:司馬遼太郎著「城塞」より